離婚と子ども

幸せおやこフェスタ―親の離婚を経験した子どもの気持ち―

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2024年4月20日(土)、

当センターの小泉が親の離婚を経験した子どもの立場のみなさんのパネルディスカッションのファシリテーターを務めさせていただきました。子どもの立場であったみなさんの生の声はとても貴重で参考になることばかりです。

以下にパネルディスカッションでのやり取りをお伝えします。是非、ご覧ください。

自己紹介

南さん: 私は2歳と16歳のときに、同じ父母の間で2度の離婚を経験しました。とても無茶苦茶な父親の下で育ちました。色々な思いがありペアチルを立ち上げ、活動しています。

あおいさん:僕の両親は僕が小学5年生の10歳の時に離婚しました。養育費を受け取っているので、今日はその立場で参加させてもらいます。

せいなさん: 私は小学4年生の9歳の時に両親が離婚し、それ以降、母子家庭で育ちました。

むうんさん:物心ついた時には既に父親はいませんでした。でも、周囲の友達には当たり前にお父さんがいる。なので、なぜ自分にはいないのかとは思っていましたが、そこに声を上げる子どもではなかったかなと思います。

養育費のある・なしによる影響は?

南さん: 養育費は不定期に受け取っていたようでしたが、具体的な金額は知らされていませんでした。母からは常にお金が足りないと聞かされていて、結果としてわがままを言えなくなり、我慢する癖がついたように思います。例えば、サッカーをしていたのでスパイクが欲しいとか、マンガが欲しいと思っても我慢ですし、友達とマクドナルドに行くとか、そうした日常の中でも我慢の連続でした。なので、我慢する癖は今もあります。後、進路にも影響があって、私大には絶対にいけないと思っていました。

むうんさん:物心ついたときに親が離婚していたので、養育費を気にする歳でもなかった。養育費をもらっていなかったと知ったのは、最近で成人してからでした。聞いたときは、もらっていなかったことへの不満より、母親に感謝する気持ちになりました。 

あおいさん: 養育費の具体的な金額は知りませんが、もらっていることは知っていて、養育費にはいいイメージがあります。友達と遊ぶときとかに、母親が配慮してくれて、お金を渡してくれることもあったし、自分の目標を追求することができました。私は理科や数学に興味があって、その学問を追求したいと思っていました。そこにはもちろんお金がかかるけれど、養育費があるからこそ目標に向かって頑張れていると思う。

せいなさん: 養育費の裁判が終わったのは中学生の頃でした。離婚前から家は裕福ではなく、欲しいものを簡単に手に入れることができない環境でしたが、小さいころからお金がないということは度々聞いていたし、養育費の意味合いも理解できない頃だったと思うので「そんなこと言われても分かんないよ」という気持ちがありました。十分なお金を払ってくれないということで、父親の印象も悪くなりました。

当時の同居親との関係性は?不満は?

南さん:色々思い返してみたけれど、一切不満がない。母の愛があったからこそ今があると思っています。地獄の日々からも抜け出せた。我慢することが多かったものの、母の愛情を感じることができました。お金のない幸せも教えてもらったし、母と妹と3人で食べる食事は死ぬほどおいしかったです。それに、母親は進路や部活の変更など、常に僕の決定を受け入れて応援してくれました。言葉で「愛している」と言われたわけではありませんが、愛情はとても伝わってきたし、受験など大変なときも励まされたし、勇気をもらった。

むうんさん:僕も本当に不満がないです。母は基本的に僕がやりたいことを何でもOKしてくれました。ずっと応援してくれるし、過剰にかかわりすぎることもない。やりたいことを見守ってくれます。どこの家庭にもあるような小さな不満、例えば眠いのに起こしにくるとかはあったけれど、大きな不満があったわけではないです。

あおいさん:僕も不満ないです。僕の人生に誠実に向き合ってくれているというか。別居親の父親に関しても同じように感じています。そんな感じが言葉じりとか行動とかから感じます。

せいなさんみなさん不満がないってすごいです。私の親もやりたいことはやらせてくれるという親だった。私のことを信用してやらせてくれました。でも、離婚した家庭っぽい不満はあります。私が反抗期で荒れていたとき、母親と言い合いになると、私の嫌なところが父親に似てると言われました。離婚してから、父親の嫌だったことをたくさん聞かされて、植え付けられていたようなところがあります。その上で、父親の嫌なところが私と似ていると嫌がらせ的に言われる。それで余計に父親のことを嫌いになっちゃう。あくまで父親なので、親同志の関係が悪くても、父親の人間的な悪口を言ってほしくないなと。父親のことは嫌いになりたくはないので。

「親が不仲で裕福な家庭」と「貧乏だけど笑顔のある家庭」どちらがいい?

南さん完全に後者ですね。幸せを感じられるような家の方がいい。

あおいさん:僕も同じ考えです。自分が小さいころ、精神的なことは大きかったかなと。

むうんさん:僕も絶対的に後者ですね。仲が悪い空間にいたくない。そもそも、裕福とか貧乏とかの前提条件として、仲が悪い、居づらい空間が耐えられない。

せいなさん:私も後者です。両親が仲悪い環境にいたことがあるので、精神的によくない影響があると思っています。お金があったとしても満たされない。成長において必要なのは家庭環境の良さだと思う。食事が楽しくないし、部屋の移動も気を遣ってしんどいし。多分、親の仲が悪い家庭の子どもたちは自分の部屋にこもっちゃうと思う。家族との関係が遮断されていると、外にいっても他人とコミュニケーションもとれない。家でとれないと外ではもっと取れない。家族とのコミュニケーションは社会勉強においても大切かなと思います。

親の離婚によるプラスとマイナス

南さん:マイナスは受験で国公立落ちたら大学行けないという恐怖とプレッシャーです。ずっと頭の片隅にその恐怖がいる。目一杯学校生活を楽しみきれていないというか。どこかでずっとプレッシャーを感じている。当時まだ世の中を知らないから、大学を落ちたら俺の人生はどうなるかと思っていたので。プラスの面は、おやじは半端ないやばいやつだったので、そこから解放されたというすがすがしさです。飯もうまいし。離婚前の家は最悪の空気。すぐに自分の部屋にいくし、もはや家に帰らない。夜の街に遊びにいくみたいな。そこからの解放感がありました。

あおいさん:マイナスは親が離婚したときの不安です。社会的にみたらマイノリティーになるので、そこが不安でした。でも、離婚したからこそ社会や自分のことを考えるようになりました。親が離婚することはマイノリティではないと分かったし、特段特殊な状況でもないと気付き始めました。解像度が上がった感じです。

むうんさん:親の離婚によるマイナス、何があるかなとずっと考えていました。唯一あるとすると、父親という人間がいなかったので、そこに関する劣等感があったかなと思います。周りの子たちは、それこそ授業参観でお父さんが来ているとか、友達からお父さんに買ってもらったという物を見せられたときに、「あ、自分にはそれないな」とう劣等感があったと思います。

せいなさん:子どもにとって一番身近なのが親。親が二人いれば、別々の親から相談して意見を聞ける。でも、親がひとりだと偏った意見しかもらえい環境だというのがマイナスだったかなと。私は一番最初に相談したいと思う大人が親だったので、成長の過程で、頼れる大人がひとりになっちゃうのかなと思うと、偏った人間になるのではないかと不安になります。今20歳ですけど、父親に自分の人生になにか言ってほしかったなと。プラス面は、そういう相談を母親に頻繁にしていたので、母親とは何でも話せる関係になりました。今はとても仲がいいし、困っていたら相談できる。深い関係性を持てるようになったと思います。

親の幸せと自分の幸せについて

南さん:当時から、母は僕と妹が幸せなことが自分の幸せだとずっと言ってくれている。僕と妹は仲が良く、各々幸せでいることが親の幸せだから、「俺は幸せになるんだ!」と思っています。

あおいさん:僕が前提として考えているのは、親と子どもは独立した人間。それぞれに配慮した方が幸せだと思っています。母親にも父親にも幸せになってほしいです。母親に関しては、母親自身の幸せも追求しているけれど、子どもに対しても幸せになってほしいという気持ちが強いと思います。

むうんさん:僕が幸せであることが親の幸せなのはすごく理解できます。逆もしかりで、親が幸せであることが絶対に子どもに伝染するかなと。うちの親はエネルギッシュな親だったので、僕も楽観的というか常にハッピーにいられると思います。

せいなさん:親の人生も子どものためではないし、子どもの人生も親のためではない。人間として尊重されるべきだと思います。多分母親はそうだけど、親になった以上、子どもの幸せにずっと配慮してくれていると感じていて、それが親になるということなのかなとも思います。子どもが親の人生を左右せず、親も子どもの人生を左右せず、子どものために何かしなければならないというわけではないし。何かしなければいけないと思ってしんどくなっている親も子どももいるのかなと思います。


お話を聞かせていただいたみなさん、ありがとございました。

イベント全体の動画は以下のURLよりご欄いただけます。

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