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親の離婚を経験した子どもの声ー養育費編ー

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2023年4月16日(日)、

このイベントのメインはパネルディスカッションです。パネルディスカッションでは、親の離婚を経験した子どもたちが養育費をはじめとする親の離婚について感じていたことを語ってくれました。大変貴重な声ですので、ぜひご覧ください。

子どもの声を聴くパネルディスカッション

ファシリテーター 

南 翔伍(一般社団法人ペアチル代表理事):母が父からDVを受けているのを見て育ち、自身も父親から虐待を受けていた。貧困家庭の中で辛い幼少期を過ごし、非行に走ったことも。しかし、現在は、愛情たっぷりに育ててくれた母への恩返しも込めて、一般社団法人 ペアチルを立上げ、ひとり親限定のトークアプリ「ペアチル」の開発・運営をするなど、ひとり親のための事業を行っている。

登壇者(仮名・発言順)

たかし

27歳。物心がついたころには父の存在はなく、養育費の受け取りもなかった。しかし、2年前に父が亡くなり、遺産相続という形で「遺してもらったもの」を受け取ることに。

ひとみ

3歳で両親が離婚。その1年後に母が再婚。養父は大酒飲みで暴言も。4歳下の異父弟と励まし合いながら、現在の自分を確立してきた。

ちかこ

小学4年の終わりに両親が別居。父は母にも子どもにも手を挙げる人で、家庭内はさながら恐怖政治のようだった。母は父から受け取っていて養育費を使わず、本業とアルバイトの掛け持ちをしながら子どもを大学まで進学させた。

けん

現在18歳、小学5年生のときに両親が離婚。両親は円満離婚で、経済的にも心配ないと言われていたものの、不安を抱え、圧力に耐えかねたことも。

ゆま

小学5年生のときに両親が離婚。父から養育費はもらっていたものの、その金額が少なかったことや、当時、「一銭も払わん」という言葉を聞いたことから、親から応援されていないと感じたことも。

子どもにとっての「養育費」のイメージは?

:養育費といえば? 養育費という言葉を知ったのはいつ?

たかし:養育費という言葉自体知ったのは歳を重ねてから。成人したころ。別居親が子どものために払うものっていうのを知った。今27歳なので7年前かな。

ひとみ:養育費を知ったのは高校生くらいのとき。離婚した後、片親になってしまった元配偶者と子どもが安心して生活するために払うものかなと思っている。自分の母親が具体的にいくらもらっていたのかは知らなくて、このイベントに出るのをきっかけに聞いた。

ちかこ:養育費という言葉は成人してから知った。ただ、父からお金をもらっていることだけは中学生くらいのときに聞いたことがあって、ちょうど高校受験の時期だったので、将来に向けて「何とかなるお金があるんだ」と安心したのは覚えている。

しかも、母からではなく、姉から聞いて、それを母に確認した。父から養育費はもらっていたみたいだけれど、母が父を嫌う気持ちが強くて、使いたくなかったみたい。なので、ほぼ養育費は使わずに母の力だけで育ててもらった。

けん:今年18歳で、小学5年生のときに親が離婚した。親の離婚は激しい別れではなく円満離婚だった。養育費は小学校5年のとき、母親から「もらってる」と聞かされた。父親とのつながりがある感じがして安心した。父親との仲も悪くなかったので、つながりがあって嬉しかった。

ゆま:小学5年生のときに両親が離婚し、母と2歳下の弟とずっと暮らしている。私は中学生のときに養育費がどういうものでとか、金額とかを意識し始めた。(金額が)少ないと母親から伝えられていたので、あまりいい印象を持っていない。教育って、親から子どもへの投資だと思うけど、そもそも自分の父親は一銭も払わないという話をしていたので、(父親からの)応援すら得られないのかと、みなさんの話を聞いて落ち込んだ。

 :僕もそんな風に人の話をきいて落ち込む瞬間があった。家庭によって大きく違うなと。僕の場合、2歳と16歳のときに母は同じ父親と離婚。養育費について知ったのは16歳のとき。ちょうど、高校受験とか入学とかでお金がかかるときだった。何かのきっかけで養育費を知ることがあって、母に聞いてみたところ、一応もらっているという返事だった。先ほどのちかこさんと同様、「ぎりぎり学校いけるんだ」という安心に近い感情がわいてきたのを覚えている。

養育費に関する親への感情は?

:先ほど、養育費を通じて父親との関係を感じるという話があったけれど、養育費をもらっている、もらっていないという事実を知ったときに、親にどういう感情を抱いた?

たかし:養育費はもらっていなかったけど、何も思わなかった。ただ、父親が2年前に亡くなって、突然、弁護士から相続の連絡が来た。母に相談したところ「養育費をもらってなかったからね。養育費代わりだと思って受け取ったら。」と言われた。養育費の代わりというわけではないけれど、父親から残してもらえるものがあったので救われた。

 :養育費をもらっていないことを知ったとき、僕だったら「マジ?どういうこと?」って思ってしまいそうだけど、たかしさんが何も感じなかったのはなぜ?

たかし:物心ついたときには父親がいなかったので、自分の父親だと認識する人に会ったことがない。だから、感情も湧いてこなかった。

けん:僕は養育費をもらっていると聞いて、率直に嬉しかった。父とは、つながりがなかったわけではなくて、受験のときにサポートしてもらったりとか、色々なところに連れていってもらったり、そのときにお昼ごはんを食べさせてもらったりとか。そういうこととか、養育費とかで父親とつながっている感じがした。離婚前は、父親とコミュニケーションを取っていなかったけど、面会交流のときは、たわいのない話とか、学校の話、友人の話などをした。

 ゆま:私は簡潔に言うと「もっとください」という気持ち。中学生のころから、母から「このぐらいしかもらっていない」という言い方をされてきた。それに母が苦労しているのを見ていたし、両親の別れ方がひどいのも知っていた。なので、余計にそういう気持ちになった。それに、義務教育でまだ働けない子どもに対して、大人が決めた養育費に対して、なぜ子どもが心配しなければいけないのかと思っていた。ただ、そういう育て方だったので、お金を大切にしようという性格にはなれた。やはり、金額を伝えるメリットはあまりないと感じる。何をしてもお金がかかる時期なので、そういう子どもに対してお金の心配をさせるのはよくない。

:金額はさておき、養育費を払ってもらっていることに対して何か思うことはあった?

ゆま:払っていること自体は、「払ってもらっている」という意識がなく、「それしかないんだ」という気持ちがあった、もうちょっと協力的になってくれればと思っていた。うちは、面会交流の回数は決めていなくて、子どもが会いたいときに自由に会っていた。それをいいことに父親がお金の支援を渋ったのかなとずっと思っていた。

ひとみ:養育費をもらっていたことは、嬉しかった。自分の今の職業に就くためには実父の援助がなければ学校に通えなかった。学費を全て出してくれた。感謝している。家庭環境的には3歳のときに親が離婚、4歳のときに母親が再婚して新しいお父さんができた。4個下の弟もできた。私はお父さんが2人、弟は1人。実父は弟も一緒にキャンプやご飯に連れていってくれた。私が行かなくなっても、実父と弟だけでキャンプに行くような、ぶっとんだフランクな実父で、それはありがたかった。養父は面会に回数を制限することはなく、そこに関しては感謝している。色々あったけど。

ちかこ:養育費をもらっていると知ったときは、何とか生きていけるんだと思った。うちは、父親が母にも私にも手を出す人だったので、家にいるときは恐怖政治だった。離婚をしてから、父は、「何でも買ってあげる」とか、「お前はすばらしいんだよ」と言っては何かを買ってくれた。父は立派な仕事をしていて、結構な金額の養育費ももらっていた。面会交流も月に1回はしていて、色々なものを買ってもらった。中学校のとき、当時流行していたウォークマンを買ってもらった。ありがとうと思いつつ、(同居当時とのギャップに)気持ち悪いなとも思っていた。それに、当然にその義務はあるだろうとも思っていた。

家の経済状態への不安は?

:養育費の家計への影響はどうだった?家の経済状況について不安はあった?

けん:大丈夫だよと言われたけど、経済状態があまり良くなくて、無理しているように見えた。それが重圧で苦しかった。その苦しみには向きあえていなくて、ため込んでいた。相談できる人もいないし、もちろん友達にも言っていない。相談相手がいないというのはきつかった。

たかし:習い事もそれなりにやらせてもらっていたし、高校も私立だった。それに自分は楽観的な性格だったので、あまり心配はしていなかった。ただ、自分なりに心配する部分もあり、「公立の学校に行く」とか言っていたけど、結局、勉強もあまりせずに私立に行った。自分自身は心配していなかったけど、今になって思うと、母親は苦労していたと思う。

ひとみ:養父は自分で稼いでどうにかしろというスタンス。公立高校であまりお金もかかっていないはずなのに、テニス部のラケットも買ってもらえなかった。夏服の制服も買ってもらえなかったので、自分のバイトで稼いだお金で買った。大学受験のときもお金がないので実父と相談してと言われた。自分の進路は実父にかかっていると思っていた。実父には学校のパンフレットを見せて、「このくらいかかりそうだから」と相談した。ありがたいけれど、私の権利でもあると思っている。3歳で離婚したけれど、私が父の娘であることは変わらない。

ゆま:私と弟は生活が苦しいと感じることはなかった。生活のことは母から「心配しなくていい」と言われていた。ただ、私は、中学校で不登校になり、高校は私立の通信。なのでお金も結構かかっていたと思う。特にお金がかかるときは、母から「今、厳しいから」という話はされていたが、母の苦労を知ったのは、バイトをしてから。バイトをしてからは、自分の好きなことにかかるお金は自分で払うようにした。お金のことは、母が「心配ない」と言っていたし、毎日ご飯は出てくる。だから、毎日生活はできていて、生活には困っていなかったが、お金の心配はしていたと思う。

:僕の母も苦労している姿を見せなかったが、ふと深夜起きると、母が自分の部屋で泣いている姿を見たことがある。僕と妹の前では元気でパワフルにしてくれているけど、実はしんどいよなと妹と話した。何かできないかなとも思ったけど、何をしていいか分からず、不甲斐ない自分がいた。

ゆま:自分ができることが見つからなくて、もっと何かできないかなと考えるけど、できても家事くらい。それ以上できない。申し訳なさみたいなものもあった。親が弱いところを見せてくると不安になる。でも、母親は見せずに心配させないようにしてくれていた。何もできなくてごめんと思っていた。

ちかこ:母親が父親の養育費を一切使いたくないという気持ちだったので、離婚当初は一時生活保護を受けていた。幸い、母は資格を持っていたので、母の収入は上がり、生活は何とかなっていった。それに、私も姉も公立高校にいったので比較的お金もかからなかった。塾も中学3年のときに1年だけ。なので、高校までは何とかなった。ただ、姉が県外の大学に通うために家を出る際、仕事一本では足りないということで母が掛け持ちでバイトを始めた。2年後は自分。私は私立で、看護師なので、特に医療系の大学は高く大変だったと思う。悩んでいる母親を見たこともある。家計簿が見える場所にあって、見てみると、すごく細かいところまで書いてあった。何かできることはないかなとも思ったけど、母は、お手伝いしたらお小遣いをくれるというシステムだったので、結果として母親の手伝いをすることになった。

ほかの家庭と比べることはあった?

:ひとり親家庭とほかの家庭(ふたり親家庭)を比べてとか、自分と友達を比べて、思うことはあった?

ちかこ:うちの両親が別居したのは小学4年と5年の間の春休み。ただ、仲の悪さは私が生まれる前からで、姉が生後半年くらいから別居を繰り返していたと聞いている。それに、父親が恐怖政治で、物心ついたころから、母と自分が父に怯えて、姉がそれを何とか間でうまく立ち回るというようなことが当たり前になっていた。なので、友達に父親と仲がいい子がいたとき、カルチャーショックというか、むなしくなる気持ちだった。こんな父親がいるんだという気持ちが強かった。

ひとみ:今まで結構きれいなことを言っていたけど、実際に育った環境はほかの子と違ってしんどい環境だった。母が働けない、家事もできないという時期が10年以上あった。必然的に弟の面倒は私がみることに。養父はお酒やたばこを超が付くほど飲む。米が炊けていないだけで私にキレる。養父がキレないためだけに顔色を見ながら生活していた。毎晩、弟と子ども会議を開いて、今日何が嫌だったかを言い合い、次の日も頑張ろうと自分を奮い立たせていた。高校になって、みんなはお弁当を作ってもらっていたけれど、私は自分で作っていた。お小遣いももらえなかったので、みんなはお小遣いで映画に行ってたけど、私はアルバイトのお金で映画に行っていた。なんでうちはみんなと違うんだろうとコンプレックスだった。でも、仲間外れにされそうだったから言わなかった。家事ができるようになったのはありがたいと思うようにしているが、内心は傷付いていた。

ゆま:私の家の場合、ずっと両親が仲が悪かったわけではないし、特に二人親家庭に何か思うことはなかったけど、お母さんよりもお父さの方が好きという友達がいてびっくりした。母子家庭の場合、男の子の方が同性の親がいないから苦労すると思う。私はなんでも母親に相談できる。でも2歳下の弟は、家には異性しかいないので、話せないことも多く、思春期なんかは苦労したのではないかと思う。

:僕は母子家庭で母親と妹だったので、父親がいないので僕が大黒柱にならないと、と思っていた。でも、お金という意味では何もできない。その分、勉強とか生徒会活動とか部活とか、そういうのをめちゃくちゃがんばって、家を明るくするのができることなのかと思っていた。

けん僕の場合は、離婚したばかりのときが一番しんどかった。というのも、小学生って結構家庭のことを話す。夫婦仲がいい家庭の話を聞くと羨ましいし、嫌な気持ちになることも。でも、中学校の頃、同じ境遇の友達と会い、一緒に過ごすことで気持ちが和らいだ。 

たかし:あまり比べなった。他の家族に対する劣等感もなかった。物心ついたときに父親の存在がなかった。友達の家に遊びに行ったとき、友達の父親が帰ってきて、みたいなことはあったけど、別に羨ましいとは思わなかった。ただ、今になって、釣りとか男同士の遊びを父とできるのは羨ましいと思う。

:その気持ちはすごく分かる。もっと仕事の相談とか人生の選択で迷ったときに父からアドバイスを聞いたと言っている友人の話を聞いていいなぁと思う。

イベントを通じて養育費について感じたこと

:最後に、今日のイベントを通じて感じたことなどを一言ずつ。

けん:養育費を払うのは大変かもしれないけど、子どもが精神的に安心できるので、しっかりと考えてほしい。僕は、金銭面で葛藤があった時期があるので、支えがあると嬉しい。父親と養育費を通してつながりがあると、家族として接しやすいとも思う。 

ひとみ:子どは結構親の顔色をうかがって、自分の発言を決めている。進路をあきらめる子もいるし、子どもから言えないような内容もある。ぜひ、養育費を払っている親から「大学はどこいくの」とか「何か悩んでるの?」と問いかけてほしい。その方が子どもは言いやすいから。 

ちかこ:面会交流のときに色々と買ってもらったおかげで、友達と違うとか、私は持っていないという劣等感を感じることがなかった。実際の養育費の金額だけではなく、「物」でもいいので、もらったという実感が得られる。大人になってふりかえると、買ってもらえて本当によかったと思う。 

ゆま:学生の頃に似たような家庭で育った子どもと知り合うことがなかったので、今回、色々な話が聞けて面白いなと思った。私の家は違うけど、離れて暮らす親が子どもとの関係をつなぎとめるのがお金というのは悲しいなと思った。養育費の支払いは親としての役目を果たすという意味合いがあると思うが、金額に限らず、受け取る側も子どもも養育費を受け取っている意識を持ってもいいと思った。子どもは思っている以上に気を遣っているので、少しでも話をして、安心させてほしい。

たかし:色々な家庭があるのだと感じた。僕は異色だなと感じた。僕はあまり心配せず楽観的に生きてこられたけど、みなさんはしっかりと考えている。養育費を受け取っていないけど、相続があったことに対しては、びっくりした。離れて暮らしていても血のつながった親との縁は切れないことを感じた。

 

登壇した子どもの立場の人の声を聴いて、みなさんはどんなことを感じたでしょうか。子どもは十人十色です。当たり前ですが、同じ家庭環境で育ち、性格も同じだという子どもはひとりとしていません。みな違うのです。その違いがある中で、養育費はこうあるべきだ、離婚をする親はこうすべきだという一般論を語ることの難しさを感じました。

その反面、子どもに説明すること、子どもの声を聴くこと、親の争いに巻き込まないことなど、大切なことは変わらないようにも思います。これからも、当センターはこうした子どもの声に耳を傾け、両親に届ける役割を担っていきたいと思います。

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